子どもは、大人のミニチュアじゃない
- 隼佑 小野
- 6月12日
- 読了時間: 3分
昨日、スクールの体験に来てくださった保護者の方が、「ブログを読んで、すごく共感して来ました」と言ってくださいました。やっぱり、僕が日々感じているリアルな想いを発信し続ける意味があるんだなと、改めて背中を押してもらった気持ちです。
そこで今日も、僕が今、どうしても伝えたい「環境と関わり方」の話をさせてください。
小学生という時期に、どこのチームで過ごすか、どんな環境で、どうやって大人に関わってもらったのか。これは子どもの人生において、もの凄く大切なことです。なぜなら、幼少期の記憶や経験こそが、その人の人格を形成していくベースになるからです。
小学生の時に、「自分には可能性があるんだ」「やってみれば、不可能なことはない」と思える経験ができていれば、大人になってどんな環境に行っても、その思考で力強く動けます。 逆に、小学生の時に「自分はダメな人間なんだ」「価値がないんだ」と植え付けられてしまうと、それがその子の人生のベース(心のブレーキ)になってしまいます。
今の日本のジュニアサッカー界では、小学生の時から当たり前のように評価され、選抜(セレクション)されていく時代です。 世界を見れば、スペインのように競争が激しくチームの入れ替えが当たり前の国もあれば、逆にスウェーデンのように「小学生時代は勝ち負けにこだわらない」という方針に舵を切っている国もあります。どちらの良し悪しを言いたいわけではありません。
ただ、僕が強く思うのは、「小学生は、大人のミニチュアじゃない」ということです。
彼らはまだ、6年から12年しか生きていません。26年生きている僕ですらまだまだ未熟なのに、10歳そこそこそこらの子どもに、大人と同じような完璧さや結果を求めるのは、やっぱり酷だと思うんです。本人が望んでいるならまだしも、「それが当たり前、そうあるべきだ」という大人の理想の環境に無理やり当てはめるのは、どうなのかなと。
もちろん、僕も子どもたちには上手くなってほしいし、だからスクールをやっています。 プロの夢を追うとなれば、そこには当然、厳しい現実も残酷な競争もあります。
でも、それ以上に僕が子どもたちに手渡したいのは、「サッカーって、本当に素晴らしいものなんだよ」「人生を豊かにしてくれる、最高に楽しいスポーツなんだよ」という絶対的な記憶です。
結果を残すために、サッカーの楽しさを味わえないのはあまりにも惜しい。
熾烈な競争の中で、上手く生き残って成功したプロ選手も確かにいます。でもそれは「生存バイアス」に過ぎなくて、その裏には、傷ついて「もうサッカーなんていいや」と脱落していった、数え切れないほどの子どもたちがいるはずなんです。大好きなサッカーをそんな理由で嫌いになってしまうなんて、本当に辛い。これを読んでいるあなたにも、趣味や楽しみがあると思います。それを奪われたらどうですか?納得できませんよね?でもそういうことが今でも起きているんですよ。楽しみが奪われるわけですから、それが人生においてどれだけの不利益を与えるかは分かるでしょう。
1ヶ月後、1年後の結果に一喜一憂して子どもを追い詰めるのではなく、5年後、10年後、20年後の人生を見据えて、いま「サッカーが大好きだ!」という最高の土台を作ってあげる。
うちは、そういう「10年後を見据えたスクール」でありたいし、これからもその本質的な価値で勝負していきたいと思っています。
そして、何度も言いますが、大人が変われば子どもはさらに伸びていく。大人が子どもを手放せば、子どもはさらに才能を発揮していく。今のうちから僕は言っておきますよ。これが10年後、20年後は当たり前になってるように。というか、当たり前にする。

コメント